福岡の女性弁護士
春田久美子の
活動レポート

名前 春田 久美子(はるた くみこ)
両親など 航空自衛官の父&専業主婦の母のもと3人姉妹の長女(生まれは静岡県浜松市で転勤族)
誕生日 1966年(昭和41年)12月19日(52歳) 射手座
血液型 A型
出身学校 福岡県立福岡高等学校卒、九州大学法学部卒
趣味 ピアノ、映画、韓国ドラマを見ること、レターセット集め
好きな芸能人 松田聖子、EXILE、全盛期のAKB48、Kiroro、Mr.Children
家族 夫、大学生の息子、小学生の娘
好きなもの ゴボウ天うどん、栗、フルーツ、きゅうり。文房具(鉛筆とノートが好き)、文房具屋さんめぐり、『リーガルハイ』や『コードブルー』『ER』のようお仕事ドラマ
好きな花 スィートピー、梅、マーガレット、沈丁花
モットー 笑顔
得意なこと 知らない人にも話しかけたり、コミュニケーションすること

<弁護士会での活動(精力的に取り組んできた分野)>

●九州弁護士会連合会

●日本弁護士連合会

<受賞論文>

2010年(平成22年)
法務省(法教育推進協議会)主催の法教育懸賞論文で『優秀賞』受賞

2011年(平成23年)
法務省(法教育推進協議会)主催の法教育懸賞論文で『法教育推進協議会賞』受賞

2018年(平成30年)
第67回 読売教育賞(社会科教育部門)で優秀賞受賞(テーマは「主権者教育」)

生い立ち・経歴

■1966年(昭和41年)12月19日生まれ 父は転勤族(航空自衛隊)
■1979年(昭和53年)3月 芦屋東小学校卒業
■1982年(昭和57年)3月 福間中学校卒業

5人家族3姉妹の長女として誕生。祖父は私と同じように裁判官を経て弁護士となり、法律事務所の看板を掲げた直後に亡くなりました。その看板は私が譲り受けました。

子ども時代は航空自衛隊で働く父の転勤に伴い、各地の公立小・中学校に転校を繰り返しました。ピアノ・水泳・習字などの習い事に追われ、特に水泳クラブでは、屋外にある冷たいプールで朝練や夕練など、指がふやけるまで泳いでいました。

宮崎(児湯郡新富町)→岐阜(各務原市)→神奈川(相模原市)→福岡(遠賀郡芦屋町)→福岡(福津市)と転々としましたが、芦屋東小学校、福間中学校を卒業し、福岡に落ち着きました。

■1985年(昭和60年)3月  福岡県立福岡高等学校卒業

体育祭での応援ダンスが(“踊り子”と呼んでいました)、3年間の生きがいとなりました。じゃんけんで負けて踊ることになったのですが、ドッコイはまってしまい、踊り子大好きに!引っ込み思案だった私を変えてくれた大きな出来事でした。
放課後は、茶道部、男子ハンドボール部のマネジャー、食物部でスイーツづくりを行い、充実した学生生活でした。

■1989年(平成元年)3月  九州大学法学部卒業

民法、民事訴訟法、刑法、商法(会社法)のゼミにたくさん加入し、また、法学部では珍しく教育実習に行き、高校と中学の社会科教諭の教職免許も取得いたしました。競技ダンスの体育会系サークルでひたすら踊りとバイトとテニスのサークルに明け暮れる日々…。
当時は、「司法試験は私にはムリ」と諦めていました。汗を流した思い出の大学の施設(六本松)が、今では司法の街に生まれ変わり、不思議なご縁を感じます。大学4年生の夏、就活を経験する中で、初めて社会の厳しさを嫌というほど突き付けられました。

■1989年(平成元年)4月  住宅金融公庫に就職(総合職)

福岡支店で個人向け融資業務などを担当いたしました。
その時に体験したことが人生の転機に!クレームなどの電話対応をするうちに、初めはとてもストレスに感じていたのですが、ふと、「この人たちも困っているんだろうな」「夢が思うようにかなわなくって辛いんだろうな」と思うようになり、法律で紛争を解決することの意義、女性が社会で仕事をしていく上で専門的なスキル(資格)が必要なのではないかという考えに至り、司法試験に挑戦いたしました。今でも公庫の同僚・上司の方々とはありがたいことにお付き合いが続いております。

実は社会人になってからも、こっそり司法試験の勉強は続けていました。

■1992年(平成4年)3月  住宅金融公庫退職(司法試験受験に専念するため)

退職は寂しく戸惑いもしましたが、退路を断ったことで、世の中に私の居場所をもう一度つくるためには合格するしかない、と腹が据わりました。ベッドに入ってからも、夜中にガバっと起きて問題集を解いたり、自分を追い込んだ時期でした。
福岡マラソンで頑張るランナーを箱崎キャンパス前で応援し、自分も頑張ろう!と思い、仲間で励まし合いながら毎日を過ごしました。

■1993年(平成5年)10月 司法試験合格

貯金が底をつく前に合格できてホっとしました。

■1994年(平成6年)4月  最高裁判所司法研修所入所(第48期 司法修習生)

裁判官になるために、奮起してさらに勉学に励みました。
埼玉県和光市にオープンした新しい司法研修所で寮生活を送ったのですが、慣れないことも多く、苦労することもありました。

■1996年(平成8年)4月   裁判官任官

京都地方裁判所、福岡地方裁判所小倉支部、佐賀地方・家庭裁判所。民事・刑事、家事・少年事件、行政事件の全般を担当いたしました。

任官して1年目、長男を妊娠中に夫と死別。どうにか出産し、福津市に住む両親に育児をお願いして、京都で単身赴任し職場復帰しました。
以降、シングルマザーとして福岡には時々しか帰れない単身赴任生活が始まりました。可愛い盛りの長男のそばに居ることができず、辛い思いをいたしました。

裁判員裁判の導入が決まり、裁判所も広報をする時代に。各庁で広報係を仰せつかり、社会科見学で傍聴に訪れる子どもたちや団体の対応をするお役目を振られました。
そのときの体験が、後に法教育に関わる背景となったことも不思議な巡り合わせです。
また、現職の裁判官として初めてTVインタビューを受けて番組に出演したり、女性裁判官に密着するドキュメンタリー番組でも取り上げていただきました。

■2006年(平成18年)4月  裁判官退官

ストレス発散も兼ねて通っていた“ワインとお料理の店”で現在の夫に出会い、転勤のない弁護士に転身することにいたしました。
真摯に料理の仕事に取り組む夫の仕事は何もないところ(食材)からモノを創り出しているクリエイティブなものに思え、魅かれました。

■2006年(平成18年)9月  弁護士登録

福岡県久留米市にて大学の先輩弁護士の元で修業。法教育に出会ったのもこの頃です。
私生活では、夫との間に娘も授かりました。

■2009年(平成21年)4月  福岡エクレール法律事務所(福岡市)を開業

事務所の名前=éclair(エクレール)はフランス語で「明るく照らす、明るくする、晴れ晴れする、明瞭にする、解き明かす」の意味。フランス料理のシェフだった夫が提案してくれたものです。

■2015年(平成27年)4月  九州大学法学部客員講師に就任

『民事訴訟法実務特殊講義』を担当。実務家の立場から、民事裁判をダイナミックに伝えるべく、アクティブラーニングの手法で学生たちに教えております(現在5年目)。